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『空き家・空き店舗利活用プログラム』第3回目-2 by F


3,玉名市博物館こころピア 館長 竹田 宏司 氏[玉名市]


①玉名の歴史について

 日本で1番と2番目に古い中国人の墓が玉名にある。

伊倉という港町があり、今でも唐人(中国人)町という地名が残っている。

以上の二つから、港マチ近辺に墓があるということは、伊倉という港街を拠点に中国を行き来していた可能性があり、海外と豊富な接点がある。

 また、キリシタンの碑や日本で3番目に古いクリスマスが開催された街でもあり中国以外でも、交流があった国際的な港町として栄えていたという。


また、その他にも考古学的にとても有名な伝左山古墳から出土した刀剣などの武具の存在や、中国から良質な鉄の輸入による地場のたたら製鉄の衰退など、玉名が国際的な港マチとして機能していた証拠が多くあった。


②玉名のマチの変遷

 江戸時代、鎖国化により、貿易の拠点が長崎の出島に。それとともに貿易港としての機能や中国人等も長崎に移住し、唐人町もなくなっていった。

 機能を失った港は、貿易港から機能を変更し、熊本藩で最大の米搬出港になっていく。

 そのような背景のある港町だが、西南戦争(1877年頃)で焼失。港マチとしての機能を失う。

 また、明治時代に鉄道輸送の影響で高瀬駅(現玉名駅)が出来たことにより、船運送も衰退した。生活の中心が鉄道の開通や、玉名高校の創立などもありマチの中心が高瀬から駅前へと移り変わっていった。



 駅前の地区から始まり、玉名町小地区や玉名駅南側の六田周辺の地区など、様々な場所に市街地化が繰り返されることで街の中心が変遷している。最近では築山小地区や新幹線地区など新しく市街地化される場所が出来始める事で、街の中心であった高瀬や駅前が空洞化し、玉名の中心地が不透明になっている。スプロール化が起きている。



以上の内容から、歴史的価値の側面から見た玉名の価値を知ることが出来きました。

また、竹田さんがセミナー始めに言われた


「マチ並みは、連綿と受け継がれてきたそのマチの営みを現している。歴史とは履歴書のようなもの。」


という言葉がとても心に残りました。

今回のセミナーは、良い機会になりました。ありがとうございました。


   セミナー後の空き家ツアー

空き家ツアーでは、玉名駅通り商店街で2件、HIKEさん近辺で1件、高瀬商店街で2件、の合計5件の空き家を見学しました。


玉名駅前通り商店街では、オーゼ美容室と隈部医院の外観の見学、高瀬商店街とHIKEさん近辺では内覧を2件、1件の外観の見学をしました。隈部医院では、ツアー後のワークショップの際に医院を使ってなにかしてみたいという方がいたり、HIKEさん近辺の空き家では高瀬裏川の良いロケーションにより


「こんないい空き家があるなんてもったいない!」


といった声がありました。

実際に机上で何か考える前に、今までのセミナー内容を思い出しマチ歩きを行うことで、玉名の実際の空き家利活用方法を考えていくプログラムは知識の定着などの側面から見てとても良いプログラムだと感じました。


第3回目のセミナーで講師として来ていただいた吉原さん、脇黒丸さん、竹田さん、来場して頂いた方々、会場を提供して頂いたHIKEさん、ありがとうございました。



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